銀座 柳が伝える水の街の記憶

銀座の街には、通りごとに多くの街路樹が植えられています。
海外ブランドが軒を連ねる並木通りは西洋風の景観を目指しシナノキ、コリドー通りから中央通りまでのびる交詢社通りはトウカエデ、マロニエ通りや花椿通りなど街路樹がそのまま通りの名前になっているところもあります。 ※マロニエ:トチノキ

中でも銀座を語る上で欠かすことのできない街路樹が柳の木です。
柳といえば川や池の周りに植えられ、水面に枝葉を下ろしているイメージの強い水辺の木。
実は銀座はその昔、東京湾に突き出た半島の先端にあり、江戸時代に一帯が埋め立てられた後も川や堀が流れる水の街でした。明治に入りこの地が日本初の西欧風煉瓦街として整備された頃、土中の水分が多いこの地でも根付く街路樹として選ばれたのが柳だったのです。
煉瓦敷きの道路にガス灯、そして柳の木は銀座のシンボルとして親しまれ、明治17年ごろには銀座の街路樹のほとんどが柳になったと言います。
1929年(昭和4年)にヒットした「東京行進曲」で♩昔恋しい銀座の柳〜と歌われたように、道路の拡張や関東大震災によって銀座から柳が姿を消した時期もありました。その後幾度かの復植、撤去を繰り返し、現在は四代目となる柳がこの地に根を張っています。

銀座一丁目と二丁目を区切る銀座柳通りにその名がついていますが、現在、最も多くの柳を目にすることができるのは有楽町に面した外堀通り(西銀座通り)です。商業ビルやオフィスが立ち並ぶ通りに沿って、行き交う人々の頭上をかすめるように柳の葉が揺れています。
すっかりコンクリートに覆われてしまった銀座に、在りし日の水の街の記憶を伝える柳の木。新旧の文化が入り混じるこの街のシンボルは、初代の誕生から今年で140年を迎えます。