フラワーエッセンスコラム…シンプルで、そして複雑

「あらゆるものは、私たちが考えるよりシンプルで、それと同時に想像もつかないほど複雑である」…これはゲーテの言葉。

バイオダイナミック農法(ルドルフ・シュタイナーの提唱した有機栽培の一種)のパンフレットの表紙に書かれていた言葉です。
表紙のイラストの意味深さに惹かれて購入しました。
一本の植物が根から花まで描かれていて、中央の緑の葉から下は青い光線、葉から上は黄色い光線に包まれています。葉の緑は、青と黄色の混じり合った色です。
黄色い光線の一番上は白く輝き、『太陽…光/生命』と描かれています。
青の下は黒に近く、『地球…暗闇/物質』とあります。
大地の闇は上昇し、宇宙の光は地上へと下降します。この二つが緑の葉にて一つになります。
植物界は緑の世界。相反する二つの世界を結びつけています。そして、そこに私たちが生きています。緑は私たちのチャクラ(身体のもつ7つのエネルギーセンター)でも中央のハートセンターを示す色です。心で感じること、欲望や思考をこえて愛を体現すること。
人間もその一部である地球という生命体にとって、私たち人間がこのことを実践するのはとても大切なこと。もしも、世界を人間中心に考えたなら、「愛」はそれほど重要にはならないでしょう。それは世界のニュースをみていても感じます。
けれど、地球の生命を中心に考えて人間の果たすべき役割を見つめると、「愛」…ハートセンターを生きることが大事なのがわかります。緑はバランスをもたらす色。ハートセンターの示す愛は、個人的な思い入れ以上のものです。
バッチのフラワーエッセンス38種には、黄色い花も、青い花も、緑の花も含まれています。
これらの花たちは、花の色を通してそのエッセンスの働きかけを教えてくれています。
シンプル、かつ奥深い世界です。

いつでも木箱をのぞいてみて

小説や物語を読むとき、その中に出てくる料理のシーンにはいつもワクワクします。私自身は料理上手ではないのですが、素材や調理の仕方がていねいに書かれているとなぜかとても想像力を刺激されます。ロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズ(探偵ものです)や、向田邦子さんの著書、懐かしいものでは「大草原の小さな家」シリーズ。どれもこれも美味しそうな食べもののシーンは記憶に残っています。難しいものではなくて、さっと必要に応じて作られる美味しい一皿はいつか真似して作りたくなります。
フラワーエッセンスを選んで服用するとき、ついつい真剣にまじめに飲んでしまうのですが、バッチ博士がその著書に書いたフレーズに、かつてハッとさせられました。「“お腹がすいたから庭からレタスをとってきて食べよう。恐怖心から病気になったのでミムラスを飲もう”こんな言い方ができるくらいに簡単にしたい」(『心を癒す花の療法』中央アート出版社より)
しっかり準備して計画的に飲むことがどんな時にも最善というわけでもないのです。
さて、今日の私はお腹の具合が悪くて気分がすぐれませんでした。38種のエッセンスの入っている木箱をあけて、ひょいとミムラスを選び、3滴舌に垂らしました。
うまい具合にお腹の不調も落ち着いたので、今度は夕方に、長く続いている微熱のためにボトルを選んでみました。スクレランサスとウォールナット。
エッセンスたちの選ばれ方は私をニッコリさせます。それがどこまでしっかり効くかをそれほど深刻に考えなくても良いのです。
その日その時のちょっとした気になる悩みを、フラワーエッセンスはときほぐしてくれます。不思議なくらい、気が楽になるのです。
木箱を開いて、一回飲んで終わりです。
お腹がすいたからレタス、心配事が頭から離れないのでホワイトチェスナット、という具合に。
キッチンで好みの美味しいものをつまんで、自宅のフラワーエッセンス・コーナーで惹かれたエッセンスを飲む。なんて幸せなんでしょう!

わたしたちを導くいのち

不思議なもので、今振り返ると昨年秋にはこのことを確かに予期していたように思います。
今年、体調を崩して入院、しばらく仕事を休み療養しなくてはならなくなりました。
20年以上責任ある立場で働き続けてきて、仕事を自分の都合でキャンセルするなどはじめての事でした。46歳を、大きなターニングポイントにすると、魂が決めてきたのでしょう。
昨年の後半くらいから「どこかで大きなストップがかかるのではないか?」と、自分の状態にあやうさを感じていました。それでもついついやらねばならぬ(そしてやることが喜びである)目の前の仕事に埋没してきてしまいました。
バッチ博士は、病自体が全体を修正するために働くものと認識していました。病は不運な悪いものではなく、その人の全体を調和させるために、本来は治癒させるために起きるのだと。
大切なことは、ここで言う全体とは、魂が中心にあることです。
魂というといろんなイメージを持たれるかもしれませんが、シンプルに言えば「いのちの力」そのものです。私たちの自我が思う最善と、「いのちの力」が判断する最善は、一致するときもあるでしょうが、まったく違うこともあります。その時に、中心となり全体を調和させていくのは魂「いのちの力」になります。
自分の望んでいることとは違う事態が人生に生じるとき、人はそれを「運命」とも呼びます。
私にとっても、今回のことは運命。自分の望みでもプランでもありませんでしたが、私の内なる「いのちの力」が(私には見えない)最善に向けて人生の舵をとってくれています。
この世の誰にとっても、人生は先の見えないもの。どうせなら、感謝して、微笑んで、大いなる流れに身を委ねていきたいと思っています。
写真は病院の庭のハーブ園です。ミントやタイムを摘んでお茶にしたり、ラベンダーを枕元に置いたり、熟した桑の実を食べたり、ミツバチや蝶を飽きずに眺めたり、おおいに癒されています。
brisaで予定していたいくつかの講座を中止させていただいたことを心からお詫び申し上げます。時期をあらためて、必ず開催させていただきますので、どうぞ楽しみに待っていてください。

魂に触れる光、マスタードの花

光あふれる時間がようやく長くなり、朝早起きするのが気持ちの良い季節になりました。
今住んでいる家を探すとき、その条件は、鳥が鳴くこと、近くに水の湧く場所があること、しずかで夜暗くなるところ、の三つでした。
この写真は、家の近くの野川。川べりをずーっと黄色い菜の花が埋め尽くしています。
フラワーエッセンスでいうと、菜の花はマスタードの仲間になります。
いろんな黄色い花がありますが、マスタードの花の黄色はとくべつです。透き通るような、それでいて秘薬を幾重にも練りこんであるかのような、この花にしかない色調です。
食べるマスタードも大好きなので、この花のそばにいると、ピリとした辛みを想像してつばがわきます(笑)
そんなマスタードのエッセンスは、暗くウツウツした心をはらすだけでなく、その働きは魂を力づけると言われます。マスタードには硫黄が多く含まれていて、この硫黄のチカラは魂に触れるほど深く、私たちの内奥に光をもたらすのです。
憂鬱を払い、たしかな生命力と活力を取り戻せるように、私たちの存在の深みから活性化してくれます。
耕されたり、工事などにより土が掘り返されるとき、突然一斉にマスタード(菜の花たち)が咲くことがあり、農夫には嫌われてきた植物だそう。
私たちの心の土壌もまさに鋤きをいれられ新しく再生されるべきとき!
掘り返されることで、新しい植物がそこに生まれていくように、マスタードは、心の奥底の暗いパターンに光を差し込み、今生きている人生を、心から満たされたものにしていく機会を与えてくれるものです。
いろんな命を元気にする暖かな春の日差しのもと、マスタードのエッセンスを飲んでみませんか?
歓びが心に目覚めていくように!

心の風向きが変わるとき…アスペンの守護のチカラ

アスペンの木が風をつかまえて鳴っています。和名がヤマナラシというのはこの木にピッタリです。
ザアァ、ザアァ~と、海鳴りならぬ、森鳴りといった風情で、私たちの意識もザアと一掃するようです。身体にまとわいつくような重いなにか、日々背負ってきたなにかを払っていくとともに、忘れていた遠いところにあるものへと、心の風向きが変わります。あれ?忘れていた大切なことがあったはず。あれはなんだったろう、と見えない彼方を探るように。

アスペンの花から作られるエッセンスは、理由のない恐れや、なにかに取り付かれているような不穏感に対して作用します。例えば、家の中にふとした拍子に人の気配を感じて、ぞわぞわするときなどに使うことができます。
フラワーエッセンスの素晴らしさは、単によくない感情を消し去ったり、感じなくするわけではなく、そういう感情があるときの私たちの内面のエネルギーに、あらたなきっかけを与えてくれること。
それは、本来一つの軸の端と端のようなもので、心がなんとはなく不穏なときは、まだ見えぬ遠いなにかに呼ばれているときでもあるのです。今までとは違う意識レベルに成長していくとき、人は理屈のない恐れや不安を感じやすくもなるということです。
アスペンのエッセンスをていねいに飲みつづけていくと、知らぬ間に私たちは、理屈抜きの強さを得ていきます。恐れがすべて消えるわけではありませんが、大丈夫かなぁ…と、少しドキドキしつつも、見えないなにかに導かれ、今までとは違う自分へと自然に移り変わっていくのだと思います。
ギリシャ神話では、アスペンで作られた冠をつけ、ヘラクレスはいまだかつて誰も踏み込んだことのない黄泉の国に行き、そこから無事に生還します。そうしてアスペンを聖なる木として称えたのです。
私たちが、敏感になっているとき、アスペンはつねにしっかりと守り導いてくれます。